早いものでもう9年が過ぎました。
あの日、激しい揺れの後、通勤電車は全部運休になってしまい事務所に泊まるつもりでいました。
介護や子供の世話でどうしても帰らなくてはならない人たちを、社有車で送って行くことになり、6時間以上かかって我が家に帰り着いたことを思い出します。
翌日車を返しに行ったときは、首都高がほぼ貸し切り状態で30分くらいで着いてしまったことも、今では笑い話です。
その2ヶ月後、ボランティアのサポートスタッフとして、相馬市に10日間ほど滞在しました。
福島市内のベースキャンプから現地に行く直前、最初に目に入った”被害”がこれでした。
そしてこんな風景。
どちらも数年前に再訪したときはすっかり綺麗になっていましたが。
そして、瓦礫の中で見つけた時計。
津波が来た時間なんでしょうね。
相馬港の南の松川浦。堤防の上の道は完全に寸断されていましたが、googleマップで見ると、開通しているようです。
矢印が撮影位置です。
完全な復興まではまだ時間が必要と思いますので、微力でもお手伝いをしていきたいと思います。
あの日、激しい揺れの後、通勤電車は全部運休になってしまい事務所に泊まるつもりでいました。
介護や子供の世話でどうしても帰らなくてはならない人たちを、社有車で送って行くことになり、6時間以上かかって我が家に帰り着いたことを思い出します。
翌日車を返しに行ったときは、首都高がほぼ貸し切り状態で30分くらいで着いてしまったことも、今では笑い話です。
その2ヶ月後、ボランティアのサポートスタッフとして、相馬市に10日間ほど滞在しました。
福島市内のベースキャンプから現地に行く直前、最初に目に入った”被害”がこれでした。
そしてこんな風景。
どちらも数年前に再訪したときはすっかり綺麗になっていましたが。
そして、瓦礫の中で見つけた時計。
津波が来た時間なんでしょうね。
相馬港の南の松川浦。堤防の上の道は完全に寸断されていましたが、googleマップで見ると、開通しているようです。
矢印が撮影位置です。
完全な復興まではまだ時間が必要と思いますので、微力でもお手伝いをしていきたいと思います。
スポンサーサイト
2020/03/11(水) | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(3)